【沖縄剛柔流】東恩納寛量先生の足跡をたどる旅:第3回 福州への旅と師との出会い

目次

<ブログ作者> IOGKFの門下生であり、この道を探求するための備忘録と考察として内容を残していくものである。


当時の中国渡航は、琉球王の許可が必要で、商人や留学生に限定されていました。寛量先生は、学問のための留学生という名目で渡航を計画し、母や兄弟を説得しました。幸運にも、父の仕事で知己を得ていた政治家・義村御殿(義村朝明)の紹介で、船に乗る許可を得ることができました

1867年~1868年頃、15〜16歳で福州に渡った先生は、那覇港から7~8日間かけて福建に到着しました。福州で、沖縄の人々が多く宿泊していた「フナーヤールー」という宿に身を寄せます。その宿の管理人「カンプータンメー」が、武術への熱意を聞きつけ、武名高かったリュウリュウコウ老師に寛量先生を紹介。こうして、先生は念願の入門を許されることになったのです

【考察】 先生が福州へ渡航できたのは、偶然の幸運だけでなく、父・寛用が築いた人脈があったからこそなんですね。また、宿の管理人であるカンプータンメーも先生の熱意を感じ取って、入門の手助けをしてくれました。武道の世界でも、師との出会いや人との縁は非常に重要だと聞きます。私たちの剛柔流の稽古も、先生方や先輩方、仲間とのつながりがあって成り立っています。先生の物語から、人と人との「縁」を大切にすることの重要性を改めて学びました。

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